白水社の『ふらんす』という雑誌で連載されている「アフリカン文学への招待」というシリーズに「<アフリカ文学>の時代の終わり」という短い文章を書いた(8月号)。むかし翻訳したモンゴ・ベティの『ボンバの哀れなキリスト』の紹介に絡めて、グギやセンベーヌについても少し触れた。なにかおしゃれな響きのある「アフリカン文学」といういことばには若干の違和感と喪失感を抱く。露骨な人種主義と支配の暴力がまだ生々しい現実である一方で、「人間」を存在させようとする強烈なエネルギーが熱く歴史を動かしていた脱植民地化の時代に生まれ、個々の作家、作品が社会にとって、世界にとって、しばしばとてつもなく大きな意味を持った「アフリカ文学」は、たぶんもう過去のものになった。21世紀に入った頃、「近代文学の終わり」が語られたことがあったが、もうその「終わり」でさえ終わったのかもしれない。
私が「アフリカ文学」の研究者になる最初のきっかけとなったグギの『一粒の麦』については何度か書いたが(たとえば「随想」ページの「熊野寮追懐」)、今回は、しばらく前に書いて結局日の目を見ることのなかったグギについての短い文章を掲載する。毎年秋のノーベル賞シーズンが近づくと、受賞候補にあげられている作家についての予定原稿の依頼が行われる。グギは何度もノーベル文学賞候補にあがっていて、私にも何年か前から新聞社などからの依頼が来ていた。結局グギは受賞することなく今年5月に亡くなった。用意した原稿は行く先を失った。原稿はノーベル文学賞受賞を受けての文章ということになっているので、その点は事実に反するが・・・私なりの追悼文としたい。
ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴは、文学の持つ力が衰退したと言われる現代において、故国ケニア、そしてアフリカだけでなく、全世界に対して、いまも大きな思想的、社会的影響力を持ち続ける希有な作家の一人である。そうした意味で、グギの受賞は驚きではない。サハラ以南アフリカの黒人社会の言語文化を背景とする作家としては、ナイジェリアのウォーレ・ショインカ(1986年)に次いで二人目の受賞者になる。
グギは、イギリスの入植者植民地であったケニアで、貧しい小作人の子として1938年に生まれ、マウマウ戦争と呼ばれた反英独立戦争のただ中でその思春期を送っている。その後、当時東アフリカの最高学府といわれたウガンダのマケレレ大学を経て、イギリスのリーズ大学で学んだ。在学中に東アフリカ最初の英語小説として出版された自伝的小説『泣くなわが子よ』(1964)は、兄がマウマウ戦争に参加し家族も弾圧にさらされる中で、一人エリート校に通う少年の苦悩と成長を描き、作家としての名声を確立した第三作『一粒の麦』(1967)は、独立に向けてのたたかいの中の人々のドラマと、それが残した傷跡と希望をみずみずしい筆致で描いている。
イギリスからの帰国後、グギはナイロビ大学英文科の教員となったが、1977年、その年に出版された小説『血の花弁』が政府と支配層へのあからさまな批判とみなさた上に、同様の批判を持ったギクユ語による民衆劇を制作、上演活動を行ったことがおそらく理由となって、裁判なしでの1年間の投獄を経験し、出獄後も大学への復帰は拒否され、1982年以降、イギリス、ついでアメリカでの亡命生活を余儀なくされることになった。
この経験は、グギに決定的な決断をさせることになった。グギは、すでに、キリスト教によるアフリカ文化の破壊を批判して、それまで使用していたキリスト教洗礼名ジェームズ・グギを捨て、伝統的命名法によるグギ・ワ・ジオンゴという名に改名するなど、独立後も続く支配層の文化的従属に対する批判的姿勢を明確にしていたが、出獄後、グギは、真のアフリカ文学は植民地支配者の言語である英語ではなく、アフリカ人の言語で書かれるべきであるとし、創作の言語としては英語と訣別し、以後自らの言語であり、民衆の言語であるギクユ語のみで執筆することを宣言したのである。出獄後に出版され、独立後も続く従属を象徴的な手法で批判したギクユ語小説『十字架の上の悪魔』(1980)は、獄中でトイレットペーパーに書き続けたものだったという。その後も『マティガリ』(1986)、 『カラスの魔術師』(2006)などのギクユ語作品を発表する傍ら、ギクユ語雑誌も発行している。
英語、ついでギクユ語の小説作品で高い評価を受けてきただけでなく、グギは評論を通じて発信し続けるその思想によっても大きな影響力を持つ作家である。とくに、アフリカ人がヨーロッパの言語と価値観への従属を脱する必要性を説いた『精神の非植民地化』(1986)、欧米の資本と価値観が支配し、ナショナリズムや人種主義、性差別などが硬直させている諸文化を変革するために「中心を動かす」ことを説く『中心を動かす』(1993)は、広く読み継がれている。
グギは1976年に初めて来日して以来、何度も来日しており、日本の作家、研究者との交流も深い。ギクユ語作品もほとんどが英訳されており、いくつかの小説、評論は邦訳もある。この機会にぜひ一度手にとってほしい。
グギはとは三度会っている。いずれもアフリカ文学研究会が京都で主催あるいは共催したシンポジウムや集会にグギが講演者として参加した際のことで、通訳、アテンド、あるいはシンポジウムの司会としてかなり濃密な時間を過ごした。独特の早口の英語と握手したときの手の温かさを思い出す。
