2024年2月5日月曜日

ルネ・マラン



 
(承前)ところで、サールがゴンクール賞を受賞した2021年は、同じ賞がマルティニック出身の黒人作家ルネ・マランに与えられてちょうど100年後にあたった。そのこともサールの受賞作に関心を持ったひとつの理由だった。世間の耳目を集めるこうした高名な文学賞には、作品や作家をとりまくさまざまな周辺事情が関与することがあるが、マランの受賞はその典型的な事例だった。

 実は1921年のルネ・マランのゴンクール賞受賞とそのわずか二年後に出た日本語訳について、30年ほど前にその背景を、フランスのパリ国立図書館(当時はリシュリューにあった)と日本の国会図書館に通って調べたことがある。


「黒人文学の誕生-ルネ・マラン『バトゥアラ』の位置」1993年10月、『フランス語フランス文学研究』第63号

「大正期に翻訳されたフランス黒人小説-ルネ・マラン『バトゥアラ』と日本の知識人」1994年2月、『アフリカ文学研究』第4号


 ルネ・マランの『バトゥアラ』については、「黒人文学の先駆」などという紹介がされることがあるが、実は当時しきりに言挙げされていた「植民地文学」の作品だった。内容も、「アフリカ人の生活を内側から描いた」という紹介がフランスでされたこともあるが(日本でも同じようなことを書いた人があるがおそらくその受け売りだろう)内容をちゃんと読めば、見当外れの紹介だということがよく分かるはずだ。小説そのものは、マランが植民地行政官として赴任していたウバンギシャリ(現中央アフリカ)の「原住民」の生活を、「民族学的な価値を持ち,諸人種の心理を伝える」ものという当時の「植民地文学」の要請に従って小説としたものであり、描かれるのは「文明人」が想定する「未開入の心理」にほかならないのだ。

 マランの受賞は、明確に時流によるものだった。ひとつはいま述べた時流としての植民地文学、もうひとつは第一次大戦後のいわゆる「ニグロブーム」-ジャズやボクシングの流行、そして第一次大戦でのアフリカ黒人兵の犠牲への同情-である。イギリス領植民地のベンガル詩人タゴールが第一次大戦直前の1913年にノーベル文学賞を受賞し、フランス人がフランス植民地の「原住民文学」の存在を世界に示したいという願望も、マランのゴンクール賞受賞には無関係ではなかった。

 うがちすぎかもしれないが、マランの受賞だけではなく、旧植民地出身の作家のゴンクール賞受賞には、旧イギリス植民地出身者のノーベル文学賞受賞が微妙にからんでいる。マラン以後では旧フランス領植民地出身者としてはじめてモロッコ出身のタハール・ベン=ジェルーンがゴンクール賞を受賞した1987年の前年にはナイジェリアのウォレ・ショインカがノーベル文学賞受賞を受賞しているし、1992年にマルティニックのパトリック・シャモワゾーがゴンクール賞を受賞したのは、カリブ海セントルシアのデレク・ウォルコットがノーベル文学賞を受賞した同じ年だった。

 そしてサールのゴンクール賞受賞の一ヶ月前にはザンジバル出身の英語作家アブドゥルラザク・グルナにノーベル文学賞が与えられている。偶然にしては頻度が高すぎるような気がする。

 なお、サールの作品が日本語に翻訳されたのは受賞の2年後だが、マランの『バトゥアラ』は翌年には翻訳されている。他の受賞作は1919年にゴンクール賞を受賞したプルーストの『スワン家の方へ』が翻訳出版された1931年が一番早く、他の作品はそもそも翻訳さえされていないものも多いので異例のことだった。注目された理由については前掲の論文で書いた。







2024年2月4日日曜日

モアメド・ムブガル・サール

 


 昨秋、鴻巣友季子さんという翻訳家、批評家が「予想を上回る圧倒的傑作」、「間違いなく本年の翻訳文学ベストの一冊」と絶賛する書評を読んで、Mohamed Mbougar SarrのLa Plus Secrète Mémoire des hommesの翻訳が出たことを知った(モアメド・ムブガル・サール『人類の深奥に秘められた記憶』、集英社:セネガル人なのでモハメドと表記する方がいいのではないかと思う。Mbougarも日本語表記が難しいが、どちらかというとンブガルの方が近いか)。

この作品は2021年のゴンクール賞を受賞した作品で、受賞後、ときどきネットで見ているFRANCE 2の20時のニュースで、作家本人が受賞者としてインタビューを受けているのを見てその事を知った。普段はフランスの文学賞を受賞したからと言ってすぐに作品を読むということはないのだが、作家が若いセネガル人であるということを知って、すぐに本を取り寄せて読んだ。ヤンボ・ウォロゲムとその作品『暴力の義務』が物語のひとつの軸となっているということが紹介されていたことにも強く関心を引かれた。ウォロゲムは1968年にルノドー賞を受賞した(受賞時、サールより若い28歳だった)が、アフリカの過去の負の側面をえぐり出すその内容が物議を醸した上に盗作疑惑が浮上して、作品は絶版とされてしまった。彼の弁明は耳を貸されず、翌年、偽善に覆われたフランスの人種主義的クリシェを批判する『ニグロのフランスへの手紙』という文書を出版したが、結局マリに帰国し消息を絶ってしまったのである。2017年に彼の訃報が伝えられたが、マリの片田舎でイスラーム導師として暮らしていたらしい。『暴力の義務』は受賞の翌々年の1970年に岡谷浩二氏による日本語訳が出版されていて、私がウォロゲムを知ったのはその翻訳を通してだった。

 1960年に旧フランス領アフリカ諸国が一斉に独立してまだ間もなく、植民地支配者としての権威を失ったフランスに対してアフリカ人がアフリカ的価値を主張し始めていた当時、ウォロゲムの作品はそれに冷や水を浴びせかけるものとして受け止められ、私の読後感もあまりよいものではなかった。しかし、単に牧歌的なアフリカの過去の称揚に対して正反対のイメージを対置したのではなく、その後アフリカだけでなく世界各地で繰り返される支配の構図と人間性の否認をある意味で予見するものだったようにも思う。うかれるな、われわれが生きる世界はそのように牧歌的なものではない、それを直視しろ、と。

 そのウォロゲムを題材としてどのような作品が書かれたのか、気になった。

 寝床読書で数週間かけて読了したが、なにか肩すかしをくらったような気がした。たしかに才能あふれる作家なのだろう。神話化されたヤンボ・ウォロゲム(作品の中では第二次大戦前に「ニグロのランボー」と評されたエリマンというセネガル人となっている)が物語の空虚な中心となり、作家本人と重なるジェガンという新人作家による幻の作家とその作品をめぐる謎解きの物語に、彼が関わる人々を通して語られる世界の悲惨と過去の傷、そしてエロスが絡み合う。さまざまな語りの技法が巧みに使いわけられ、歴史と世界の現実が織り込まれた謎解き物語は、読者を引き込む力を持っている。ただ、アフリカにせよ、南米にせよ、織り込まれているエピソードは、なにか現実の重みのない、ある種のイメージにとどまっているような気がする。過去を含め、仄めかされる世界の悲惨や悲劇が、プロジェクトマッピングが同じ平面にさまざまな情景を映し出すように、平板で現実の重みを感じさせない「雰囲気」としてしか伝わってこないように感じるのだ。「文学」や<écirture>という言葉がフェティッシュのようにちりばめられ、巧みなホラー映画が、暗示や仄めかしを通してじわじわと恐怖を実体化していくように、あたかもそこに何か特別なものがあるかのような印象を与える効果を生み出しているのだが、恋に恋しているような自己陶酔的な感じもする。

 諸手を挙げて絶賛するほどの作品とは思えなかった。私の20世紀的感性には深みのない巧みさしか感じられなかったのである。