2024年7月17日水曜日

久しぶりに森へ。

 


雨や体調不良などでしばらく森に行けない間に、いろいろな野草が花をつけていた。

花は可憐なのに、アレチヌスビトハギ(荒れ地盗人萩)だとかイヌタデ(犬蓼)だとか、酷い名前をつけられているのが多い。おなじ萩の仲間でも、ミズヒキ(水引)は赤白の水引から来ているのだろう。比較的よい名前がついている。

 春先から咲いているアカツメクサが、森
のそばの運動場でまだ咲いていた。アカツメクサなどというものがあることは、つい数年前まで知らなかった。シロツメクサは、入学したばかりの中学校の校舎の傍らにたくさん咲いているのを見て初めて知ったが、この花を初めて見たのは、退職祝いで筑後川温泉に行ったとき近くを散策していたときだった。

 ワルナスビも酷い名前だが、この名はあまり気の毒に思わない。花を見ようと手を伸ばすと鋭い棘で痛い目にあわされた。花が似ている茄子から来ている名前だが、茄子は棘があっても食すとうまいから許せるが、ワルナスビには寛大な心にはなりにくい。

いま知っている植物の名前の大半は、退職後、森やその近辺を歩いていて覚えたものだ。なんとも心貧しい生活をしてきたものか、と思わないでもない。

2024年7月11日木曜日

グギ・ワ・ジオンゴ、多言語文学叢書


  グギ・ワ・ジオンゴ+グギ・ワ・ミリエ『戯曲 したい時に結婚するわ (もう一つの世界文学/多言語文学叢書) 』(宮本正興訳、三元社)が間もなく出版される。三元社の「多言語文学叢書」の第一弾である。コロナなどがあって遅れ、6年目でようやくスタートした。

 「多言語文学叢書」は、2018年に東京大学東洋文化研究所で開催された「多言語社会研究会」第10回研究大会のあとで行われた多言語社会研究会20周年パーティがきっかけだった。そこで、あまり翻訳されることのない言語で書かれた文学作品の翻訳企画の話題が出たのである。大会からしばらくして本郷の三元社に私と荒井幸康氏(モンゴル諸語)、森山幹弘氏(スンダ語、インドネシア語)などが集まって、企画を相談した。叢書趣意書のたたき台を私が作り、当初「マイナー言語文学叢書」という叢書名を提案したのだが(ドゥルーズ、ガタリが『カフカ——マイナー文学のために』で「マイナー文学とは、マイナー言語による文学のことではなく、メジャー言語のなかにマイノリティが生み出す文学」と言っていたことを念頭においていた・・・)、「何のことか分からない」と大変評判が悪く、結局三元社石田社長の「多言語社会研究会が出発点だから『多言語文学叢書』にしましょう」という提案が採択されたのだった。


 叢書のスタートは日本でもある程度知られているケニアのグギ・ワ・ジオンゴのギクユ語作品からにできればと思い、グギがギクユ語で書き始める前から親交があり、最初のギクユ語作品『したいときに結婚するわ』についても詳細なノートを作っておられた宮本正興氏(スワヒリ語、ギクユ語)に依頼し快諾を得た。丁寧な注釈のついた訳稿と解説文は一年足らずで完成していたのだが、いろいろな事情で遅れに遅れたままになってしまった。長くお待たせした宮本正興氏には申し訳ないことをした。

 第二弾としては私が訳したマーム・ユヌス・ジェンのウォロフ語小説『アアウォ・ビ』が出る予定だが、まだいつになるかはわからない。

 叢書の扉に掲げた『「もうひとつの世界文学-多言語文学叢書」刊行にあたって』を以下に引く。


「もうひとつの世界文学-多言語文学叢書」刊行にあたって

 20世紀末、文学の「越境」が語られるようになった。それは、「イギリス文学」、「フランス文学」、「日本文学」など、国民国家の枠組のなかに配置された文学ではなく、それらの大言語を用いる「他者たち」の文学である。ドイツ語で書くプラハのユダヤ人、英語、フランス語で書くアフリカ系、あるいはアジア系の作家等々・・・しかし、「越境」は英語、フランス語、ドイツ語などの大言語を獲得した者たちの特権にとどまっている。

 21世紀に入って「世界文学」が語られるようになった。それは、各国文学の寄せ集めとしての「世界文学全集」が代表するかつての「世界文学」とは異質なものであり、翻訳を通して、時代も地域も限定されない幅広く立体的な世界理解を目指す姿勢といえるだろう。しかし、そこでも、語られるのは、英語をはじめとする大言語で書かれるか、そうした大言語の文学市場において商品化され得る「世界文学」である。たとえば英語などへの翻訳がもたらすバイアスにも自覚的なダムロッシュにおいても、コンゴ人作家はフランス語で書き、リゴベルタ・メンチュウもスペイン語で書く。かろうじて紹介されるナワトル語はかつてスペイン人宣教師によって書き留められたものである。池澤夏樹の世界文学でもアフリカは英語で語られ、「世界」は大言語を通してしか表現されない。

 しかし、世界には、そうした大言語の文学市場からは漏れ落ちる、翻訳市場には登場しない無数の文学的営為がある。英語で書いたエイモス・チュチュオーラの背後にはヨルバ語で書いたダニエル・ファグンワがいた。セネガルのマーム=ユヌス・ジェンは、都市のセネガル人女性の生をフランス語で書いたマリアマ・バーへの応答として、セネガル農村女性の生をウォロフ語で書いた。インドネシアの近代文学は「国語」となったインドネシア語だけでなく、スンダ語などの地域言語のなかからも生み出されていた。

 この叢書が試みるのは、大言語を通した「世界文学」が語らない世界、それらの言語へのアクセスが容易ではないために「知られざる」世界文学となっている「もう一つの世界文学」が語る世界にも分け入ることである。