冬の間、コナラなどの落葉樹は落葉し、森は少し明るくなる。3月になると森の小道沿いではウグイスカズラが淡いピンクの可憐な花をつけ始めているが、落葉樹に再び葉が茂るまではまだしばらくかかりそうだ。森の底(地表)は枯れ葉に覆われているが、その下には一年を通してテイカカズラやジャノヒゲなどの緑が広がっている。もっとも広い面積を覆っているのがテイカカズラで、ところどころで木の幹を這い上がり、ときには幹を覆い尽くしている。
テイカカズラという名前が藤原定家に由来するということはぼんやりと知っていたが、それ以上調べようとしたことはなかった。先日たまたまネットで能の演目「定家」のことを知り、動画でだがはじめて能を通して見た。表題になっている定家は出てこない。ただ定家の恋の妄執が式子内親王の塚にまとわりつく蔦葛となって舞台上にあるだけである。銕仙会という能関係の団体のサイトには次のような要約がある。
京を訪れた旅の僧(ワキ・ワキツレ)が、にわか雨を避けるべく近くの東屋に向かうと、そこへ一人の女(前シテ)が現れ、この地はかつて藤原定家が雨の風情を眺めるために建てた“時雨亭”であると教える。やがて一行を式子内親王の墓に案内した女は、石塔を覆っている葛こそ定家の執心が変じた“定家葛”だと告げる。かつて内親王と定家とは恋仲であったが、世間に浮名が立ったため逢うことが叶わず、そうする内に亡くなった内親王を定家が恋い慕ったために、こうして今なお纏わりついているのだった。女は、自分こそ内親王の霊だと明かすと、束縛の苦しみからの救済を願いつつ、姿を消してしまう。
僧が弔っていると、塔の内に憔悴した式子内親王の霊(後シテ)が現れた。僧は法華経の功徳によって葛をほどいてやり、彼女はついに抜け出すことが叶う。感謝の舞を舞う内親王であったが、彼女はあらわになった自らの衰えを恥じると、むしろ人知れず定家と二人で愛欲の苦海に生き続けることを選び、最後には自ら石塔へと戻ってゆくのだった。
二人の恋は後世の風説に過ぎないという話もあるが、定家は1162年生まれ、式子内親王は1149年生まれで、13歳の年の差があるが、定家がはじめて式子内親王のもとに伺候したのが1181年というから、式子内親王はまだ32歳で、20歳まで賀茂神社の斎院を務めその後も結婚を許されない立場の彼女に19歳の若い定家が大人の色香を感じ恋したというのはありそうな話ではある。そして受け入れることのできない恋情に密かに心乱される内親王の姿を想像するのも難しくはない。
能のゆるやかな踊りとたたみかけるような謡が強い印象を与える。これまで関心を持ったことがなかったが、一度直接見てみたい。
ただ、その後森で木の幹を這い上がるテイカカズラを見るたびに、なにか心穏やかではない。