長らく積ん読になっていた中田考『カリフ制再考』を最近寝床読書で読んだ。大部分がカリフ制の起源と歴史、そして近代植民地主義国家の台頭によってオスマン帝国が崩壊してからのイスラーム運動についてのセミ・アカデミッックな説明からなっているが、根幹の主張は「エピローグ」の次のような文章にあるだろう。
現代世界に流布している「人権」、「民主主義」の概念は、歴史的には17-18世紀に西欧における市民革命の過程で生まれたものである。そして、この「市民」革命とは、その実、「領域国民国家」の「国民」による革命であり、それゆえ彼らが掲げた「人権」、「民主主義」は普遍主義を標榜しながらも、その「人権」や「民主主義」とは普遍的な「人類」の権利ではなく、国境に囲い込まれた土地の住民の特権に過ぎない、との根本的矛盾を内包している。
(中略)
西欧ローカルに過ぎない「人権」や「平等」の概念を普遍的と強弁し、それを共有しない他者にそれを力ずくで押しつけ差別、搾取し、拒絶するものは非人間化し、無力化、殲滅してきた人道に反するナショナリズムのイデオロギーに立脚する現行の領域国民国家システムは、真のグローバリゼーションを実現することはできない。
現実に千年以上にわたって存続した、世界で最も強固な法的安定性を有するイスラーム法によって、遊牧民にも高度に発展した都市民にも、砂漠地帯から熱帯雨林にまで広がる広大な領域に報の支配を実現したイスラームのカリフ制は、これから不可避的に進行するグローバリゼーションに対応するためのアメリカの「グローバリズム」のオルタナティブになりうるのである。
カリフ制の主張は別として、中田の「領域国民国家」体制批判は正鵠を得ていると思う。アフリカ現代史家のフレデリック・クーパーは、支配領域と外部世界の間に「門番」として存在するのみで「統治」が存在しない植民地国家を引き継ぎ、破綻していったアフリカの新興国家を「門番国家」と呼んでいるが、植民地体制崩壊後二十世紀後半から雨後の竹の子のごとくに誕生したそうした「国家」は、中田の言う「領域国民国家」体制のいびつさを象徴している。
<斉藤幸平『人新生の「資本論」』>
中田の『カリフ制再考』を読んで思い出したのが、しばらく前に遅ればせながら読んだ斉藤幸平の『人新生の「資本論」』である。
後期マルクスが、「共産党宣言」に示されているような近代主義、発展主義を克服し、資本主義の破壊性を明確に認識して「脱成長コミュニズム」の立場に立つようになっていたという理解に立って「脱成長コミュニズム」を主張する。「ザスーリチへの手紙」については、後期のマルクスがブルジョワ革命と産業資本主義を経ずにコミュニズムに至る可能性を認めていたという文脈で知っていたが、斉藤幸平は、それを「脱成長コミュニズム」という新たな思想として提出しようとしているようだ。久しぶりにポジティブな展望を示すものとして面白く読んだ。ただ、「3.5%の市民の力による変革」の展望を語る彼の主張は、21世紀初頭に一時注目を集めたネグリ、ハートの「マルチチュード」を思い出させる。
ソ連崩壊後、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を語り、全世界がアメリカ資本主義に覆われた時代に入ったと思い込んだ時代に対応したこの「変革の思想」は、そうしたのっぺりとした世界を前提にしているように感じた。しかし、20世紀の世界の現実はそれほど単純なものではなかった。フクヤマののっぺりとした世界を否定したハンチントンの「文明の衝突」はトンチンカンな思いつきに過ぎないが、脱植民地化によって誕生したアフリカの「国家」や、ロシアやオスマントルコ、あるいはハプスブルクなどの旧帝国が崩壊した後に「領域」と「国家主権」だけを形式的に与えられた「領域国民国家」のカリカチュアが世界の人々の大半を囲い込み、分断している世界においては、「マルチチュード」は変革の思想としてはあまりにも世界を単純化して見ていたのではないか。
ネグリ、ハートが「マルチチュード」を語ったように、斉藤は<コモン>や「グローバルサウス」を語る。斉藤は、「国家の力を前提としながらも、<コモン>の領域を広げていく」ことを呼びかけるが、彼が例示するバルセロナ、南アフリカなどのケースは、湾岸戦争が示したような「領域国民国家」システムを維持しようとする圧倒的な「グローバルな」暴力と、「パクス・アメリカーナ」の終焉後のロシアや中国による脆弱な「国家」への介入と支配に対抗するには、あまりにも頼りない気がする。中田のカリフ制は非ムスリムにとっては変革の思想として支持するのは難しく、斉藤の議論は知的な夢想の域を超えることができるのか心許ないが、若い世代からポジティブな未来への展望が語られるのはよいことなのだろう。
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